それは私。

この日記をご覧の方はご存じだろうが、私は恋の終わりが目の前に存在してるのを知りながら、直視する勇気を持てない意気地なしだ。


失恋というのはコワイ。
自分という存在が全否定されたようなキモチになる。
しかも自分自身によって、だ。
自分に全否定されたらどうなるんだろう?

答えは簡単。
死にたくなる。生きていたくない。
でもそう簡単には死ねない。少なくとも自ら生命を絶とうとするのは少なからず・・・いや・・・ものすごい「勇気」が必要だからだ。
だからココロを殺す。
肉体は、生きるために食事をし、生きるために睡眠をとり、生きるために社会生活を続ける。
でもココロはそんな必要はない。
殺すために、ココロをぴったりと閉じて外界から入ってくるすべてのモノをはねのける。
いわゆる殻に閉じこもる、ってやつだ。
それは現実逃避だと言う人がいるだろう。
それでもかまわない。
今のこの苦しい時を抜け出せるのなら、なんだってする。何にだってすがりつきたい。
できることなら、この思いが「痛み」でなくなるまで冬眠していたい。


それにしてもこの恋はすごかった・・・。
恋が始まった時に思った。「こんな恋は初めてだ」と。
終わりかけた今ではこの「失恋」は、すごいと思う。こんな失恋は初めてだ。
今まで自分で自分の存在を否定したことなんてなかった気がする。だいたいそんなことまで考えたりしなかった。
今までの恋はすべて自分のシナリオの中で動いてきた。かけひきもすべて思うとおりに進んだ。
恋の終わりも自分で決めた。
始めから決まっていた「おはなし」のような恋ばかりだった。
そんな経験しかないからこそ、この恋を新鮮に感じたのかもしれない。
自分の知らないところで始まった恋。
自分が参加してからも思うようには進まない。
今までのかけひきが通じない。
自分がどうしたいかよりも、相手がどう出るか、どう思うか、そればっかり考えていた。
新しいゲームを攻略するかのように私はのめり込んで行った・・・。

恋の始めから終わり間際(・・・うーーん往生際が悪い)まで、何から何まで新鮮でオドロキで、初めての経験ばかりだった。
一緒にいた頃のことはまだうまく言葉にはできないけれど、いつかきちんとした形で残しておきたい。そんな風に思える「思い出」にしたい。


でも、こんな風に前向きに思える時なんてのはそれこそたまにしかない。ほとんど毎日が絶望、悲しみ、嫉妬、ひがみ、後悔・・・負の感情を抱えて生きている。
だからこんな時は、恋がうまくいってる人の日記が読めない。失ってしまったモノを他の人から知らされるのなんてたまらない。なんて自分はバカなことをしてしまったんだろうと改めて後悔させられてしまう。
そしてまたココロを殺すのだ。
ぴったりと閉じて。
だからごめんなさい。
アタタカクミマモル、ナンテコトデキマセン。
今はまだ読めません。
早く読めるようになりたいです。

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